モイラは目ざめたばかりの眼を凝《じつ》と見開いていたが、天上の息づかいさえ静かな、拵えたもののように見える静かさを持った言葉が終った時、その曇りのある表情には何の変化も、現われなかった。昨夜の帰途の車の中で、むらむらとモイラを包んだ不満が固まり、それが練りもののようになって、そこからモイラの中のふてぶてしさが滲み出て来たのである。その梃《てこ》でも動かぬ、魔のようなものが今、完全なものとなってモイラから発している。もうそこには、鳩のエンミイを逃がした後《あと》のモイラは居ない。ようようのことで自身を抑えている、自身の中の呻《うめ》きをなだめている天上は、そのモイラの様子を見て、その金縛《かなしば》りになった胸の中で、絞られるような呻きを発した。 天上はモイラから離れると、やよを呼ぶための呼鈴を押して、部屋を出た。隣の、自分の寝室に一旦入り、そこを抜けて奥の書斎に入った。肱掛椅子にかけてある上着を取って着け、紙入れ、印鑑の袋、ハンカチイフ、万年筆なぞをそれぞれの場所に納める間も天上は、胸の辺りに纏《まつ》わりついていて離れようとせぬ、今離れて来たばかりのモイラの香気に、手もなく酔いしれている己《おのれ》に哀れみを催し、今日から明日へ、それから又いつの日までか、続くであろう苦しみの時間を想うのだ。髪に櫛を入れようとして覗いた柱鏡に映った天上の顔には、見るに耐えぬ苦渋がある。(これが俺の顔だろうか? 今から二年前の……いや、少なくとも一年前の、まだ俺が、モイラとの日々に希《のぞ》みを抱いていた頃の、あの俺の顔だろうか? あの頃はまだ俺は、希みを抱いていた。楽しくもあった。楽しくしていたことが、何故、このようにして、罰せられなくてはならぬのだろうか? 何故? それは何故だ。俺が何かの宗教を持っていたらこう言って神に問うただろう。稀有《けう》な花のようなモイラの、花粉の中に溺れ果てて、酔いしれたような俺だった。花々に埋《うず》もれたようなこの館《やかた》の中で……伊作の咲かせる花々の中で、朝夕エンミイを見ることに安らかな、よろこびを見つけていた俺は、その庭の花々よりも、どこの世界の花よりも香気のある、モイラという肉で造られた花を得た。そうして俺は、思ってもみぬ歓びを得た。はかない歓びであったかもしれぬ。偽《いつわり》の歓びであったかもしれぬ。だが毎朝の鏡の中にみる俺の顔には生気があった。眼にも力があった。……大体俺はもとから、嫩者らしさを持っているとは言えぬ男だ。磯子もよく言って微笑っていたように、ごく若い頃から若年寄りのようなところがあった,coach 財布 アウトレット。たしかに俺には嫩者の溌溂としたところがなかった。だが、モイラを得た俺の眼には生々《いきいき》とした光があった。皮膚にも張りがあった。……それがこの鏡の中の顔はどうだ。皮膚の色は青ざめている。頬の皮膚は垂《たる》んでいる。眼には力が無い。……) 天上は指先で浮腫《むく》んだ高頬の辺りを押した。そうして、厭なものを払いのけようとするように、頭を左右に振った。 天上が階下に下りると、その日も常のように、玄関には雇人達が居並んでいる。雇人達の様子の中には当然、既になにかを知っている気配が、あった。天上は彼らの前を通らないでは外には出られぬ。天上が彼らの前を通った時|河岸《かわぎし》の葦の葉をよぎる風のように、その気配が渡った。眼を上げて、自分を見ることもせぬ女どもの俯向けた庇髪《ひさしがみ》の辺りに、掌を揃えた膝の辺りに、それがある。侮《あなど》りわらいの気配である。女たちの侮りの、声のない笑いは今日の天上にとって薄い両刃《もろは》の刃物であった。うすうす感じとってはいるらしいが、奥のことに関心を持たぬのはコックの李と、運転手の木村利夫である。特に木村利夫が、何ごとにも関心を持たぬ男であることは天上にとってこの朝、吻《ほつ》と吐息を吐《つ》く程の救いであった。花園の間の小径《こみち》に出て見送っている伊作にも、天上は少なからず抵抗を覚えるのだ。 車に乗り込んだ天上の眼が伊作に行く。(旦那様。……お元気でお帰り下さいますように) 伊作の眼が言った。 天上の眼がそれに応《こた》える。(そんな眼をして呉れるな、伊作……俺は大丈夫だ……) そうして苦しげに伊作の眼から逃れ、天上はシイトの背に寄りかかった,ルイヴィトン ボストンバッグ。(大丈夫でなどあるものか。意気地のないこの俺が……意気地のない、痴《し》れ者の、この俺が……) 木村利夫の肩越しに、フロント硝子を照り返す朝の陽に、充血した眼を瞬き、天上はふと突き上げてくるものを、覚えた。(車で迎えに来て、運転をしたのはあの、ドゥミトゥリイだ。あの屈強な、容貌もいいドゥミトゥリイ……モイラへの恋心を、胸の奥に隠しているドゥミトゥリイだ。どこへ寄り道をしようと、モイラの意志の儘だ。そうしてその後《うしろ》にはあの父親がいる。あの父親が黒幕だ,ルイヴィトンモノグラム 長財布。俺がこれまで見たことのない種類の、さほど美男というのではないが様子のいい、林作という父親。あの男は、どのようにも取れる微笑いを浮べることがある。ふと眼を伏せて、翳《かげ》るような微笑いをすることがある。モイラが、俺の前もかまわずに甘えようとする瞬間に見せる微笑いが、それだ,coach 財布 激安。微笑いと一緒に上半身を折るようにして、それを俺に見せぬようにする。……俺や磯子には解らぬ、深いところに、考えをおいているところがある。深い……深いところに、なにかをおいて、それがどんなことであろうと、恬《てん》としているところがある。その俺にはわからぬ考えから、どのようなことをモイラの自由に委せるかも知れぬ……嗚呼《ああ》!!!……どのようなことを!!!) 天上は整った顔を醜く歪めた。(それでいて常識を備えている。もののわかったところがある。その考えにも誰にも批難をさせぬ清潔《きれい》なところがある。それがどうも、深いところで、召使い達なぞを服させているふしがある。あのドゥミトゥリイとやよとはあの男を、神のように崇《あが》めている。慕っている。やよなどは、あの男への奉仕のために、苦しい思いを耐《こら》えている。まるでサン・セバスチアンだ。そればかりか、モイラを嫌っているこっちの召使いたちまでが、あの父親にいい感情を抱いている。服している,オメガ デ ヴィル。モイラという香いのいい花を、この家に迎えてからというもの、俺は孤立無援だ,coach 財布 人気。双方の召使い達から軽侮をうけている、侮《あなど》りの礫《つぶて》を、浴びている。それが又昨夜から酷《ひど》くなった……段がついてひどくなった……ドゥミトゥリイの、やよの、哀れみも、俺には耐えられぬ。
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もののわかったところがある
(1 post)-
Posted 12 years ago #
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