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今年のダービーは何が勝つのだろう

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  • Started 12 years ago by vfdvds04

  1. 一年の最初だから気合いは入っているのだけれど、ついついうれしくて好きな馬同士の馬券を買ってしまうのである。カリブソングはよかったが、相手に選んだユキノサンライズがよくなかった。逃げて逃げて男どもにつかまってしまったのである。しかしユキノサンライズほどかわいければ負けてもいいか、なんてもう許してしまっている。甘すぎるでしょうか。 最終十二レースが終わって十一万も集まった観客もほとんどいなくなった。源一郎さんは明日の予想原稿を書いている。ときどき原稿を書く手を休めてはもう何も走っていない馬場をじっと見つめている。G㈵があった日はたいてい最終レースが終わったあとで、記者席のテラスに座り、観戦記を書いている源一郎さんを待つことになった。有馬記念の日もそうだった。夕闇につつまれた競馬場を見おろしながら黙って座っていると、いろんなことを考えてしまうのである。 オグリキャップが引退レースとなった有馬記念を劇的な勝利で飾ってから、まだ二週間しかたっていないというのに、それはものすごく遠い過去のレースに思える,コーチ メンズ。あまりに多くの人とあまりに多くの場所で、奇跡の有馬記念について語りあったせいだろうか。 オグリキャップといえば、わたしたちはオグリキャップの生まれ故郷、三石町の稲葉牧場に泊めていただいたことがある,コーチ アウトレット。これは生涯の自慢だわね,コーチ 長財布。その夜、源一郎さんとサンスポの加藤さんと山際牧場の山際さんと一緒にジンギスカンを食べながら飲み、競馬談義が続いたのであるが、なぜか稲葉さんを前にして「わたしはオグリキャップが大好きです」と、どうしても言えないでいた。とても恥ずかしかったのだ,コーチ バッグ。オグリキャップを好きだというその言葉の意味が、妙にへんてこりんであやふやなものに思えたからなのだ,財布コーチ。 競馬記者の中にはどうしてもオグリキャップのことをよく言わない人がいる。よく聞いてみると「オグリキャップが好きだ」という女の子と一緒にされるのがいやみたいだ。その気持ち、なんとなくわかります。わたしはこーんなにオグリキャップのことが好きなんだよおなんて、おじさんだったら言わないだろう,コーチ バッグ 2013夏。実際、わたしはホクトヘリオスのことが好きだったけれど、人にそれをアピールしたことはあまりない。だから有馬記念の日、オグリキャップのぬいぐるみに毛糸で編んだマフラーと帽子をつけて大事に抱えている女の子を見たとき、ああ、なんか負けちゃったなあと思ったのだった。 でもでも、わたしもオグリキャップのことが好きだ。ニュージーランドトロフィーで、わたしの好きなリンドホシを馬なりで完膚なきまでに叩きのめしたオグリキャップの強さにすっかり参ってしまって以来、自慢じゃないけど、オグリキャップの馬券を買わなかったことは一度もない。ジャパンカップの2—2とりました。その中でも好きなレースはオグリキャップ四歳の有馬記念である。あの有馬記念は不思議なことに岡部騎手の顔ばかり見ていたような気がする。いま考えても思い出すのは岡部さんの顔ばかりだ。あの日はほんとうに珍しく岡部さんがレース前から笑顔だった,コーチバッグ。それにいつもとちょっとちがって岡部騎手そっくりの冷静で賢そうな表情をしたオグリキャップは、まるでレースを楽しんでいるかのように走り、タマモクロスに勝ってニヤリと笑ったのだ。このときわたしは、この馬がほかの馬とは全く異なるのを知った。オグリキャップのライバルは馬ではなく、彼に乗る騎手なのだ。 オグリキャップの人気は、そのむき出しの闘志と勝負根性にあると言われるが、もうひとつ彼の逸脱した存在のしかたに負うところが大きいと思う。つまるところ、オグリキャップはいつもいつも何か正しくないのである。クラシック登録がなくダービーに出られなかった四歳、マイルチャンピオンシップの後連闘でジャパンカップに出走した五歳、休養明けで安田記念を勝った六歳の春、天皇賞、ジャパンカップと凡走し非難の渦の中で有馬記念を勝った六歳の秋冬。つねにオグリキャップの存在様式は間違いをはらんでいた。「ほんとうならば……」とみんなが言った。「かわいそうなオグリキャップ」と女の子たちは泣いた。しかし、オグリキャップはただ競馬という世界の現実をみんなに思い出させただけなのだ。間違いはオグリキャップにあるのではなく、オグリキャップが世界の間違いを浮き彫りにしただけなのである。 絶対勝てないと思ったのに勝ったマイルチャンピオンシップ、ホーリックスを追いかけて追いかけてそれでも届かなかったジャパンカップ、武豊を背に他馬を子供扱いして勝った安田記念、イナリワンとのたたきあいが激烈だった毎日王冠、どのレースをとってみてもほかに例を見ないほどおもしろい。なのに、目をとじると浮かんでくるのは、六歳秋の天皇賞。直線馬群に沈むオグリキャップの妙に真っ白な顔。このとき初めてオグリキャップが一頭の馬だということを思い出し、それが悲しくて泣いたのだった。 わたしは持ってきた文庫本をひろげた。いつもは海外のSFだけれど、今日はスタインベックの「赤い子馬」という短編集である。もし競馬を知らなかったら、この本を読んでもただの感動的な話で終わっていただろうなと思う。 四歳馬にとってダービーを目指す闘いはすでに中盤を迎えている。ダービーは楽しい。ダービーはうきうきする。ダービーは特別だ。今年のダービーは何が勝つのだろう,財布コーチ。そんなことを考えるだけで半日はすぐに過ぎてしまう我が家である。
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    Posted 12 years ago #

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