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こっちがタレントになっちまえばいいのさ

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  • Started 12 years ago by g410zstw

  1. とくに、発足当時の日本テレビは、映画界を脱落した人間とジャズ関係者の混成軍だったと伝えられるが、そうした体質は番組にも反映していた。そのでたらめさ、リラックスした気分は、現在の〈管理されたテレビ〉からは、想像しようもない。既成のマスメディア(新聞、ラジオ)に飽き飽きしていた若者たちが、この新しいメディアに魅せられたのは自然の成り行きだった。 だからといって、|彼ら《ヽヽ》がただちにテレビ界を志す、というわけでもなかった。テレビが日本において産業たり得るかどうか、まだ不明であり、そして、川合寅彦がそうであるように、所詮《しよせん》は活字文化のシッポを引きずっていたからだ。はっきりいえば、テレビ局はまともな就職先ではなく、そこで働く人間はやくざめいた印象を世間にあたえていた。 彼らをテレビ界に吹き寄せたのは、一九五五年前後の不況だった。大学を出ても、仕事はなく、なんとかして食いつながなければならない、と思ったとき、射程距離に入ったのが、急速に成長しつつあるテレビ産業であった。 いや、不況のせいだけではない。川合寅彦も辰夫も、大きな新聞社や出版社の入社試験に応募して、落とされている、いわば、はみ出し者であった。「腹が立ったぜ」 と、ビールをウイスキーにかえた川合は言った。「面接試験で落っことしやがってさ。きみは写真の方が二枚目だな、なんて吐《ぬ》かしやがる。我慢したけどよ」 どこか、はみ出した部分がある、既成の産業によって拒まれた連中を吸収するゆとり、あるいはいいかげんさを持っていたのが草創期のテレビ界だった。身を寄せていく側も、受けとめる側も、いいかげんだったのである,オークリー サングラス 激安。「このごろ、映像文化なんて言葉があるじゃない」 と川合が言った。「そろそろ、テレビ評論家なんて奴《やつ》が出てきたらしいけどよ。おれに言わせりゃ、ちゃんちゃらおかしいよ。……テレビは文化なんてもんじゃねえんだよ。こいつは、おれたちの世代にあたえられた、すばらしい、どでかいオモチャなんだ,オークリー フロッグスキン。いいかい。台本《ほん》を書いてるおれも、演出してるディレクターも、出てる奴も、みんな、同世代だぜ。……おれは、いつも局のどっかにゴロゴロしててさ、昼間からビール飲んだりして——これは、〈働いてる〉なんてもんじゃないよ。すばらしいオモチャと戯《たわむ》れているんだ。そう考えれば、これはこれで、けっこうたのしいやね。このオモチャで、いかに楽しむかってことにだけ、おれはエネルギーを費してるんだ」 当るべからざる勢いであった。「おれが、おたくと組みたいと言った理由がわかるかい」「わからない」 と辰夫は答える。「番組に出るためだよ」「出る?」「そうよ。テレビってのは、出るものさ」 断定的な言葉を辰夫は解しかねた。「そうかねえ」「裏方を半年もやってごらん,オークリー アウトレット。たいがい、いやになるぜ。局の都合と、タレントの言いたい放題、わがままにふりまわされて……」「耳が痛いですね」 ディレクターが大声で応じた。「気にしない、気にしない」 川合も大声で応じる。「ストレスが溜《たま》るんだよな。それで、ノイローゼになったりする奴ぁ古いんだ。ストレス解消のためには、自分《てめえ》が書いたショウやドラマに自分《てめえ》が出るのが、いちばんよ。こっちがタレントになっちまえばいいのさ。それも、あわよくば人気者に、ぐらいの気持がないと駄目《だめ》だ。おれは、そういう気持でいる」「あまり張り切らないでください」とディレクターが牽制《けんせい》する。「大丈夫だよ。番組がスタートして、好調だったら、ぱっと画面に出る。不調だったら、局から姿を消すから」「それも、困りますよ」「で、画面に出るとき、だけど、おれひとりじゃ、まずいんだよな。作者の片方だけ、出て、もう一方が出ないんじゃ、洒落《しやれ》に見えねえだろ。だから、初めから、画面に出そうな人を指名した」「冗談じゃない」 と辰夫の表情が硬くなる。「まあ、落ちつきなよ。こんな値の張るオモチャで、たのしく遊ばない手はないぜ」「もう一軒、寄ってかない?--------------------------

    Posted 12 years ago #

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