若い時分は、ただ職人かたぎのへそ曲りと思っていた。だが、この頃になって祖父の気持が判ってきた。 下戸で盃いっぱいでフラフラする祖父にとって、とんがらしは、酒だったのではないか。 関東大震災のあとの建築ブームで、羽振りのいい時代もあった。大きなうちに住み、沢山の職人を抱え、親方と立てられた時代もあったが、人の請判《うけはん》をしたのがつまずきの始まりだった。 そのあとに戦争が来た,バーバリー 財布 メンズ。 ようやく乗り切ったと思ったら、職人として一番腕の振える全盛期とバラック建築の時代がぶつかってしまった。 気に入った仕事がくるまでは、半年でも一年でも遊んでいる、といった名人肌も、家族を養うためには、折れなくてはならなかった。 昔なら見向きもしなかった小料理屋のこたつ櫓《やぐら》まで作った。 子供たちもあまり運がいいとはいえなかった。頼りにしていた次男は肺を患って若死にした。仕事場のまわりに進駐軍が出入りして、銘木に平気でペンキを塗りたくるのを黙って見ていなくてはならなかった。 祖父は、愚痴をこぼす代りに、おみおつけのお椀が真赤になるまで、とんがらしを振りかけたのだ。 腹を立て、ヤケ酒をのみ、女房と言い争う代りに、戦争をのろい、政治家の悪口をいう代りに、鼻を赤くして大汗をかいて真赤なおみおつけをのみ下していたのだ。 結局、祖父は、ひとことの愚痴も言わず、老衰で死んだのだが、初七日が終り、やっとうちうちだけで夜の食事をした時、祖母は、長火鉢の抽斗《ひきだし》から、祖父のとんがらしを出した。「こんなに急に死ぬんなら、文句いわないで、とんがらしをおなかいっぱい、かけさしてやりゃよかったよ」 陽気な人だったから、こう言って大笑いをした,mcm バッグ。笑っている目から大粒の涙がこぼれていた。[#改ページ] 転 向 氷を買いにゆく時は、往きはゆっくり帰りは急げ。豆腐屋はその逆で往きは急いで帰りはゆっくり。 子供の頃、祖母からこう教わったが、どの家にも冷蔵庫があり、豆腐はスーパーでパックになったのを売っている昨今では、役に立たない教訓になった,mcm 財布。 第一、子供がお使いに歩いている姿を見かけなくなった。コロッケを揚げて貰い、熱々の経木《きようぎ》の包みを捧げるようにして走って帰る子供の姿は、黄色くて暗い街の電気がともりかける夕方の景色だったが、ピアノを習っているのか塾に通っているのか、今は滅多に見かけない。子供のない人間だからこんなことを言えるのかも知れないが、親から預ったお金を落さぬように、小さい玉子や傷んだ菠薐草《ほうれんそう》を混ぜられないように、せいいっぱい注意しながら大人にまじって買物をする緊張感と晴れがましさ、ちょっぴりまじる惨めったらしさは、塾などへ通うよりよっぽど人間としての肥《こや》しになる。 万津子は古い友人である。 私と違って猫額大だが庭のある一戸建てに住んでいるのだが、ひる過ぎに訪ねると、路地に面した出窓に必ず白い旗が出ている。 一日一回は豆腐を食べないと気の済まない彼女が、豆腐屋に、「今日も寄って下さい」という合図なのだ,バーバリー 財布 レディース。 白旗は朝顔の突っかえ棒に使う細い竹にくくりつけた、ご主人のらしい古いハンカチである,mcmブランド。この白い旗を横目で見ながら、建てつけの悪い玄関の格子戸を開けると、実家にでも帰ったような気安さがあって、私はよく遊びに出掛けた,mcm 通販。 万津子の口癖は、肉食を止めなさい、ということであった。肉ばかり食べていると体が酸性になり諸病のもとであるという。最後は必ず豆腐を食べなさいになるのが決りであった。 万津子は以前は納豆に凝っていた。 納豆に醤油も何も入れずそのまま一回に一袋ずつ食べる。一年続けたところ、或る日、口許まで持っていったら、どうしても口が開かない。狂犬病や破傷風になるとそうなるというが、犬に咬《か》みつかれたことも怪我をした覚えもなかったというから、体が味無し納豆を拒否したのであろう。------------------------------------
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第一、子供がお使いに歩いている姿を見かけなくなった
(1 post)-
Posted 12 years ago #
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