[#ここで字下げ終わり] この条文にしたがえば、両親のうちどちらかが日本国民でありさえすれば、子どもが未成年であっても無条件に「国民」として認められることになる。だが、これは憲法第三章の「国民の権利及び義務」や民法第四編第四章(親権)と照らし合わせるとき、多くの部分で抵触する。 たとえば、憲法では「すべて国民は、法の下に平等であつて」(一四条)とか、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(一五条)とか、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」(二七条)とか、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(三〇条)などとあるが、未成年者も「国民」であるなら、これらの規定が適用されることになる,バーバリー 財布 メンズ 二つ折り。 つまり、理屈上は、未成年者も公務員を選定したり罷免したりできることになるし、勤労や納税の義務を負っていることになる。その他、二二条では、「国民」という言葉は使われていないものの、「何人」に対しても居住、移転及び職業選択の自由が保障されている。 しかし一方に、民法第八一八条では、「成年に達しない子は、父母の親権に服する」とあり、同八二一条「子は、親権を行う者が指定した場所に、その居所を定めなければならない」とか、同八二三条「子は、親権を行う者の許可を得なければ、職業を営むことができない」とも書かれている,mcm リュック 激安。 言葉遊びを弄しているわけではないし、論理的に矛盾した条文のあら探しをしているわけでもない。憲法と法律とはその法理の目的と抽象水準が違う。憲法は統治権力が暴走しないための「押さえ」をその本質としており、法律は市民社会のいざこざを裁くためのマニュアルである。だから純論理学的には矛盾しているように見える場合があり得る。そう見える場合には、実際にはそのつどの常識に従って運用すればいい,mcmブランド。法というものは、だいたいそういうものである。 しかし私がなぜわざわざここでこのようなことを持ち出すのかというと、先に㈫でカッコ書きしておいたように、日本の憲法や法律には、「国民」という概念と「未成年者」との関係をしっかり考えてきた形跡がなさすぎると言いたいのである。 ここには一種のエア・ポケットがある,mcm 通販。私は、「子どもの正しい大人化」の必要について共通了解を持つためにも、このままではまずいのではないかと指摘しているのだ,オークリー フロッグスキン。 というのは、昨今、「子どもの人権」なる概念がよく取りざたされ、この概念を振り回して、これはいかがなものかと思われるような主張や制度がまかり通るのをしばしば目にするからである,tumi ビジネスバッグ。------------------------------------
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たとえば、憲法では「すべて国民は、法の下に平等であつて」
(1 post)-
Posted 12 years ago #
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