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このとき、うしろから声があった

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  • Started 12 years ago by g03656od

  1. このとき、うしろから声があった。「奥さん」 私は奥さんではないが、近所の商店ではこう呼んで下さる。若主人である。彼はニヤリと笑うとこう言った,celine 財布 2013。「今日は親指は駄目よ」 先手を打たれて、親指メロンはただ一回しか食べることが出来なかった。 お恥しいはなしだが、私は平常心をもってメロンに向いあうことが出来ない。 なんだこんなもの。偉そうな顔をするな,celine カバファントム。たかが、しわの寄った瓜じゃないか、と無理をして見下《みくだ》す態度をとりながら、手は、わが志を裏切って、さも大事そうに、ビクビクしながら、メロンを取り扱っている。 レストランやよそのお宅でメロンをご馳走になる場合は、育ちが悪いと思われてはならぬ。それでなくても向田という苗字はすくないのだから、氏素性がいやしいなどと思われては、親きょうだい、いや、ご先祖様にも相済まない。こんなもの、いつもいただいております、という風に、ごくざっと食べてスプーンを置く。 しかし、うちで到来物のメロンを食べるときは、日頃の心残りを晴らすように皮キリキリのところまで、果肉をすくい、一滴の果汁もこぼさぬよう気を遣って食べるのである。このメロンにしても、うちうちで食べるのは勿体ない。来客があった時に、と冷蔵庫に入れておくうちに、締切で時期を失し、切ってみたら、傷《いた》んでしまって涙をのむことも多いのである。 一度でいい。一人で一個、いや半分のメロンを食べてみたいと思っていた。ひとりで働いているのだから、しようと思えば出来ないことはないのだが、果物に三千円も四千円も払うことは冥利が悪くて出来ないのである,celine アウトレット。 ところが、四年前に病気をして、入院ということになった。花とメロンが病室に溢れた。食べようと思えば、一度に三つでも四つでも食べられる。幸い、外科系の病気で、胃腸は丈夫なので食欲はある。それなのに、食べたくなかった。 メロンは、病室で、パジャマ姿で食べても少しもおいしくないのである。高い値段を気にしながら、六分の一ほどを、劣等感と虚栄心と闘いながら食べるところに、この果物の本当の味があるらしい。[#改ページ] 洟 を か む 時季はずれの風邪をひいてしまった。 テレビの仕事がひと区切りついたので、チュニジア、アルジェリア、モロッコからサハラ砂漠へ入る半月ほどの旅行に出掛けたのだが、風邪はどうもその旅先でいただいたらしい,celine バイカラー。帰りの飛行機のなかは、洟《はな》との闘いであった。 自分が格闘していたので、いきおい他人さまの洟のかみかたが気になった。 外人は、特に西欧の人たちは、はな紙で洟はかまない。ハンカチをひろげてグシュッとやる。使ったハンカチはポケットには戻さず、背広の袖口に押し込んでおいてまた使う、と物の本で読んだのは、何十年前のことだったか,celine 表参道。 本当にそうだろうかと半信半疑だった。 はじめて外国へ出たのは十二年前だったが、見るもの聞くもの、浦島太郎ではないが、ただ珍しく面白く、という有様で、とても他人さまの洟のかみかたにまで目を向けるゆとりはなかった。それと、季節はちょうど夏で、洟をかんでいる人は見当らなかったような気がする。 今度は、パリ─東京間の機内と、中継地のアンカレッジの空港で、洟をかんでいる五人の外人を見かけた,celine トリオバッグ。 五人のうち四人は、私たちと同じティシュ・ペーパーで洟をかんでいた。かみかたも格別変ってはいなかった,celine パロディ tシャツ。なかの一人が、片手でかんでいたくらいである。 残りの一人は、本当にハンカチで洟をかんでいた。 もうちょっとで六十という年格好のその人は、ジョン・ウェインのまた従弟《いとこ》といった感じのアメリカ人だった,celine 新作。 どういう職業のひとか見当もつかないが、紺のブレザーを着こなした姿勢のいい大男だった。 この人も風邪をひいていると見え、ひっきりなしに洟をかむ。まず大ぶりの白いハンカチを手品師のように片手でさっとひろげる。鼻を包むようにして、「グフッ」 かみ終ると、グローブのような掌で丸めるようにして、ズボンのポケットにねじ込んだ。袖口には仕舞わなかった。 彼は三度か四度、それこそ私の鼻の先で洟をかんだが、一度もティシュは使わなかった。 顔が似ていると、声も似ている。性格も似ていることが多い。この人も、ジョン・ウェインと同じようにタカ派であり、洟のかみかたも保守派なのであろう。 それにしても、あのハンカチは、誰が洗うのだろう,celine tシャツ パロディ。彼の鼻はうつ伏せでは寝られないのではないかと心配になるほどみごとにそびえ立っていた。私のような情ない団子鼻でも、これだけの洟が出るのだから、あの体格、あの鼻では、まず私の倍は出るに違いない。 実は私も、随分前のはなしだが、気取ってハンカチで洟をかみ、その後始末で往生したことがある。私は昔人間で、ひとり暮しのこともあり、洗濯はすべて自分の手でゴシゴシやるのだが、人間の洟が落ちにくい代物だとは知らなかった,celine ポーチ。 まるでとろろのようにまつわりつき、洗っても洗ってもスッキリせず、ヌルヌルしている。水で洗ったのがいけないのかと思い、熱湯をだしたら、今度は洟が煮えて白く浮き上り、我がものと思えど、いささか気持の悪い思いをした。このあと、塩辛のお茶漬を食べるのが嫌になった。こんな苦労をしたのに、まだ洗いが足りなかったらしく、洟は執念深く布地にしみ込み、乾き上ったら、カパカパしたところがあった。 ハンカチで洟をかむというのは、たしかに粋なしぐさだが、奥さんかクリーニング屋か知らないが、陰で泣いている人間がいるのである。 それとも、あのジョン・ウェインは、夜更けのホテルの洗面所で、バス・タオルを腰に巻き、ひとりハンカチの洗濯をするのだろうか。エチケットというのは、どこかやせ我慢に支えられているところがある。 物のない時代に育ったせいか、私はどんどん出てくるティシュ・ペーパーを、屈託なく使うことが出来ない。 女ひとり、ひと様が寝ている間も起きて働いているのである。ティシュの一箱や二箱、なんだ、と思うのだが、いざとなると勿体なくてしかたがない。洟をかんで、本式に出ればそれでいいのだが、チュンという音だけで、紙のほうには、大豆粒くらいのしめったのがふたつ出て来ただけ、というようなとき、私はどうしても捨てることが出来ない。 お恥しいはなしだが、もう一度、戻してしまう。次の機会にまた使うのである。 前の、湿ったところを除けてかむわけだが、うっかりすると、使用済の濡れたところにまた鼻があたってしまう。------------------------------------

    Posted 12 years ago #

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