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十一月二十四日

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  • Started 12 years ago by h02213vq

  1. もいた。 しからば、密約の内容とは何か。一、ロシアと清国は、日本を共同の敵とする。二、ロシアが日本と戦争状態に陥った場合、清国は陸海軍の全力をあげてロシアを助け、ロシアにその港湾の自由使用を許す。三、清国は、黒竜江、吉林二省を通過して、ウラジオストックに至る鉄道の敷設をロシアに許可する。 以上であって、これは完全な軍事同盟である。しからば、日本がロシアを打ち破ったとき、その同盟国である清国に対して、満州全土の支配権を要求しても過当ではない、というのが、大陸進出論者の言い分であった,ルイヴィトン 財布 モノグラム 二つ折り。 松岡は、この「露支密約」について、支那の態度を論難した。松岡の演説によると、支那側はこの密約を発表する意志はなかった。しかし、大正十一年、ワシントン会議の際、アメリカ政府の要請によってその全貌を発表し、世界の政界を驚かせた。そして、くしくも、このとき要旨の発表にあたったのが、当時中華民国の駐米大使であった顧維鈞であった。 この密約は、後にソビエト政府によって、全文が公開され、先に顧維鈞によって公表されたものには、脱落があったことが明らかにされた。 松岡は言う。「日本に対する攻勢的なこの密約について、ある支那の要人は、これを防衛的条約であると説明する,クロエ 二つ折り財布。しかし、従来の同盟条約について、どの当事者が自ら、この条約は他国を攻撃するためのものだと告白しているか。 帝政ロシアがあのように迅速に満州に侵入して鉄道を旅順にまで延長し、日本を危うくさせたのは、あの密約のおかげである。日本は戦うよりほかなかった。そして、日本は二十三万人の死傷者(内、死者八万)戦費十八億円という犠牲を払って、満州をロシアから取り戻したのである。我々はもっと支那から感謝されてもよい。日本人は未《いま》だにあの厖大《ぼうだい》な戦費を皆済出来ないでいる。それは満州をロシアから取り返して、再び支那に還付してしまったからである。それを考えれば、現在日本が満州で得ている権益は、決して過大なものとは言えない。 また、先の密約がワシントンで暴露されたとき、日本は支那の行為に対して、何の行動も起さなかった。今日でも遅くはない。支那が何らかの形で、あの密約に対する賠償を実行する意志があるのならうけたまわろう。 議長閣下—— 余をして率直にいわしむるならば、ロシアをして、満州に侵入させたものが、ほかならぬ支那自身であったという一事を知っていたならば、わが日本政府は、日露戦勝の後、疑いもなく満州全土の譲渡を要求していたであろう。従って、今日に至って、満州問題で論議をかもす必要もなかったのではないか。 このような歴史的事実を無視して、日本を単なる侵略者として追い出そうとする張学良らの行為は、あまりにも忘恩の行為としかうつらない。我々は、近い将来において、再びかの李鴻章の如き人物が出現して、日本を危うくするような密約を締結する恐れがないとは断言出来ないのである」 松岡の「田中上奏文」論破と「露支密約」攻撃とは、後の「十字架上の日本」と並ぶ熱弁であった。 続いて、日記を披露しておこう。 十一月二十四日(木)午前中、ノーマン・デビス氏(米オブザーバー)来訪。三時半より会議,oakley メガネ。昨日の続きなり。 二十五日(金)本日の会議は、言葉の交換に面白き節あり、英外相サイモン氏も余の肩を叩いて笑う。夜は和服をつけ、付近の日本食(レストラン・シシリー)に出かけたり。(注、松岡は時々、緊張をほぐすため、例のイタリア人が経営しているレストランに赴き、日本酒を呑み、寿司、天ぷらなどを食していた。この日は理事会の討議が一段落したのでくつろいだものと思われる) 二十七日(日)久方ぶりに雨。傘をさして一時間あまり、湖辺を逍遥《しようよう》す、神気|頗《すこぶ》る爽快《そうかい》なり。十時半より会議。四時、パラマウント・サウンドニュース及び、ムーヴィ・トーキーの依頼により、トーキーを撮る。 二十八日(月)天気なれど霧深し,ルイヴィトン モノグラム 財布。(注、初冬のレマン湖は霧が深かった。松岡は湖畔から霧のけむる湖面を眺め、シベリア鉄道のなかで読んだ『孫子』の言葉を反芻《はんすう》した,ルイヴィトン 財布 モノグラム 三つ折り。「敵を知り、己を知らば百戦あやうからず」その敵は何を考えているのか……。松岡は「ジュネーヴ印象記」のなかに次の言葉を残している。「霞ヶ関のある人々は、エドワード・グレー卿の『大英帝国二十五年外交史』を読んで随喜の涙を流している。わが国民とまるで性情を異にする欧州諸国の外交史などを後生大事に読んでいる方も多いようだ。わが国外交の振るわざる一面は少なくともここにある,chloe 財布 lily。孫子でも少しく読まれるとよかろう」) また、松岡は、自室に帰ると、机の前にかけてある額に見入った。日本出発に際して、大谷光瑞師が贈ってくれた「養神」の扁額《へんがく》であった。 こうして、松岡は東洋的教養を噛みしめながら、欧米の大物外交官に対する秘策を練っていたのである-------------------------

    Posted 12 years ago #

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