多声部からなる曲の一声部だけでは音楽になりません」「それなら、伴奏のない曲を弾けばいいじゃないの」 こともなげに深谷は言う。「独奏曲といっても、ピアノ独奏は別として普通は伴奏が入るんですよ」「あなた、前に言ってなかった? チェロ一本でやる曲があるって」「バッハやコダーイの無伴奏曲のことですか?」「なんだか知らないけど……」「無理ですよ」 東野は苦笑した。無伴奏の曲とは、伴奏をつけられない演奏者のために書かれたものではない。チェロという単旋律楽器の限界を極めようとする意図で作曲されたものだ。当然その演奏には、テクニックも表現力も並外れたものを要求される,ヴィトン 財布 メンズ。いくら由希の上達が早いとはいえ、彼女の手に負えるとは思えない。何より二か月足らずで仕上げるのは無理だ。深谷は不思議そうな顔をした。「由希の能力を持ってすれば、できないことはないんじゃない?」 東野は、なぜ無理なのか丁寧に説明した。深谷は退屈そうな、納得しかねたような顔で肩をすくめた。 いずれにしても期限は二か月弱しかない。その間にどうやって完成させればいいのか、だれに伴奏を頼めばいいのか、皆目見当がつかない。 伴奏を付けるのが容易な曲がないことはない。ただしソリストの側に、合わせようという意志がなければそれも無理だ。それは由希がいつかは越えなければならない壁で、できないからと言って避けて通っていては由希の才能は開花しないまま朽ちていく。しかし伴奏者についてはだれも思い当たらない。また怪我をさせたりしてはならない。消去法で行くと最後はだれもいなくなる,オメガ 時計 人気。確かなのは最後に消えるのが高田保子だということだ。 保子に電話をするまでずいぶん迷った。どうしても、と頼めば引き受けてくれるのではないか、という期待と甘えが東野にはあった。「はい、高田です」 歌うような優しい声が聞こえたとき、少しばかり緊張した。「東野です。この前はごめん」「あ、私のほうこそ、ごめんなさいね」 こだわりのないその口調にほっと胸を撫で下ろした。「実は、頼みたいことがあって」「何かしら?」 保子の声が、硬くなった。用件を察知したようだった。東野は話し始めた。「ごめんなさい,ルイヴィトン ショルダーバッグ。それは、だめ」 最後まで言う前に、保子は遮った。「あなた以外にできる人がいないんだ」「悪いけど、私もできないわ」 もの柔らかだが、締め出すような響きがあった。「由希も変わったよ、あれから」「私は……変われないわ」 語尾が震えている。「変われないって、どういう意味,ルイヴィトン 財布 レディース?」「とにかくだめ。もうその話はしないで」 それ以上尋ねる暇も、謝る暇も与えず、電話は切れた。 発信音しか聞こえてこない受話器を持ったまま、東野は途方にくれた。 二か月、二か月、とつぶやきながら、こぶしで電話台を叩いていた。まさか俺がピアノを弾いたりして……と考え、その様を想像して苦笑した。初心者のために練習曲の旋律を右手で弾いてやることはあるが、人前で専門外のピアノなど弾けない。 伴奏を付けられなければ、伴奏なしの曲を選べばよいという、自分が一笑に付した深谷の、いかにも素人らしい単純明快で乱暴な提案をあらためて考え直してみる。 ジョイントコンサートで弾くのにふさわしい、短い曲。バッハの無伴奏チェロ組曲の中から比較的簡単そうな一曲を選ぶことはできないだろうか。 しかし簡単そうとは言っても、それは見かけだけだ。バッハの音楽には、トラップがいくつもしかけられている。似たような旋律、似たようなリズムが頻出し、その一つ一つに微妙な変化がつけられている。完璧に弾き切ったとき、そのトラップはすばらしい音楽的効果を発揮するが、一瞬でも気を抜けばつまずき、曲の流れから転落して巨大な迷宮に飲み込まれる。演奏家にとっては、極限の集中力と緊張を要求される恐ろしい音楽だ。 由希なら少なくとも技術的には完璧に弾くだろう。問題はその完全な技術の上にどれだけ豊かな音楽実体を乗せられるか、というところだ,OAKLEY サングラス 店舗。 賭けではあるが、やってみるしかないか、と東野は短く息を吐いて、スコアを取り出す。 ルー・メイ・ネルソンは、この全六曲のうち、一番から五番までをレコーディングしている。彼女の最後の録音として、死の間際に残している,coach 財布 激安。 由希がそれを弾くということは、由希の演奏とルー・メイ・ネルソンの演奏を比較できるということだ。 由希とルー・メイ・ネルソンの演奏が似ていると言われたところで、似ているという根拠ははっきり示されてはいない。所詮は聴き手のあいまいな印象にすぎないのだ。同じ曲で聴き比べてみれば、その差は歴然とする。優劣はともかくとして由希には由希の音がある。同じ曲をあえて弾かせることによって、由希のオリジナリティーを際立たせてやることもできる。そのときルー・メイのコピーとか、霊が乗り移ったといった低次元な批評は姿を消すはずだった。 由希のことを取り上げた雑誌記事は反響を呼んだ。その由希が弾くとなれば、音楽を鑑賞する以前に事の真偽を確かめたいという人間が会場に押しかけてくるだろう。見せ物であることを期待されているからこそ、見せ物以上の演奏を聴かせて驚かせてやりたいという思いもあった。 決意したその日から、東野自身の練習が始まった。バッハの無伴奏チェロ組曲を東野は過去に何度か弾いている。学生時代の試験の課題曲であったこともあったし、仲間内の演奏会で弾いたこともある。しかし新たにマスターするとなれば、再び練習が必要になる。自分で弾くかたわら大家の演奏によるテープを持ち歩き、ヘッドホンステレオで聴いて、自分の解釈に間違いがないか確認する。テープはもちろんルー・メイ・ネルソンのものではない。
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消去法で行くと最後はだれもいなくなる
(1 post)-
Posted 13 years ago #
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