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このころ梅雨である

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  • Started 12 years ago by cosmopatc

  1. cosmopatc
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    そのうち中山忠光が、京都を脱して長州にきていると知って、玄瑞はこの公卿を光明寺党の総裁に据えることを考えついた。忠光は、しばらく萩にいたが、攘夷戦が始まるという話を聞きつけ、下関の廻船問屋白石正一郎邸に滞在し、壇ノ浦などの砲台築造工事にも姿をあらわした。玄瑞の申し入れを忠光が承知したので、光明寺党の意気はいちだんとあがる。それで五月を迎えた。長州藩の運命を決めた文久三年五月十日が目前にせまっている。 そのころ玄瑞のもとに、ある朗報が届いていた。前月の二十二日、つまり攘夷期限が示されたあくる日に、玄瑞は藩士にとりたてられたのである。しかも食禄二十五石の身で、大組士に加えるという。 大組士は、旗本にあたる身分で、普通五十石以上の家格の侍である。二十五石の大組士というのは例のないことだった。しかし、とにかく玄瑞は、武士になった。「早々束髪候様仰せ付けられ候事」 と辞令の末尾に付記してある。髷《まげ》を結えというのだ。十五歳で藩医を継いだときから、二十四歳の今日まで通してきた坊主頭とこれで訣別することになる。「砲台軍監を命ず」 士分となった玄瑞に、さっそくそんな命令が届いた。一人光明寺を出て、その役に付くこともできないから、とまどっていると、馬関総奉行の手元役をつとめている来島又兵衛が、いずれ戦争になれば、光明寺党をひきいて壇ノ浦か前田の砲台に付けばよかろうといってくれた。玄瑞が特別砲術を心得ているわけでもないから、あてにしていない様子だった。「まあ、浪士のお守でもしておれ」 と、又兵衛が磊落《らいらく》に笑う。 五月十日まであと三日という日、長雨がやんで、午後から陽がさしはじめた。このころ梅雨である。じめじめした降ったり止んだりの毎日だった。「台場を見に行くぞ」 玄瑞が出かけるので、十人ばかり光明寺党の隊士が、あとにつづいた,クロエ 二つ折り財布。手に手に槍を持っている。武器といってもそんなものだ。藩兵はゲベール銃をあてがわれているが、光明寺党には割当てがない,ルイヴィトン 財布 モノグラム 三つ折り。まさか槍をもって黒船と戦うわけにもいくまいが、外国兵が上陸してくれば、それも役に立つと本気で考えている。いずれにしても何か武器を手にしないと戦場に立った気持がしないのだろう。 玄瑞を先頭に、槍をかついだ光明寺党の一団が町を行くと、藩兵までが急いで道をあける。「敵からもこのくらい怖れられるとよいのだが……」 と、玄瑞は笑った。 海峡を臨む砲台は、彦島から長府にいたる海岸の各所にあるが、主なものは壇ノ浦と前田である。それもまだ築造中だった。ペリー来航の当時、江戸で鋳造した青銅砲を持ち帰り、据えつけているのだが、いささか泥縄の感がないでもない,スピードマスター オメガ。 海岸にせり出した丘陵を削ってできた台場に立つと、関門海峡が美しく見渡せた,オメガ シーマスターアクアテラ。青みをたたえた潮が東へ流れていく。寿永の昔、源平の軍船が死闘を展開したのもこの海だった。あれから七百年の後、こんどは異国の兵と日本人が血を流すことになるのである。身ぶるいする思いで、海をながめていると、長州藩の軍艦三隻が、海峡のなかほどに姿をあらわし、ゆっくり円をえがきはじめた。戦いを前に、操船の訓練に励んでいるらしい,OAKLEY サングラス 店舗。 庚申丸・壬戌丸・癸亥丸で、いずれも木造機帆船だ,coach 財布 アウトレット。外国から買い入れた商船を軍艦に改造したものだから、甲板に三、四門の大砲を積んでいるだけである。外国の軍艦が、新式のアームストロング砲数十門を搭載し、さらに何百人かの陸戦隊員を収容していることを、まだ日本人は知らない。 山を降りるとき、玄瑞は遅咲きの八重桜の花を見た。微風に撫でられて、淡紅色の花弁を雪のように散らしている。そのむこうに、群青の海峡が横たわる絵のような風景だった。玄瑞は、ふと京都にいる井筒タツのことを思った。 きみのため、剣とりはき ますらをが、かへりみもせず うみをなす、長門の国ゆ いや遠に、海原わたり いや高に、山路うちこし ……… 苅薦《かりごも》の、思ひみだれて 朝な夜な、せんすべしらず 梓弓《あずさゆみ》、はるさり来れば、 しろたへの、ゆきもけぬべし はなぐはし、さくらもさかむ いざやこら、みやこのはるを ゆきてや見まし 燃え尽きる日を一年後にひかえた玄瑞が詠む、万葉調の長歌である。[#改ページ] 第四章 砲煙に佇つ 黒船海峡 文久三年五月十日の夕刻、雨に煙る対岸九州の田野浦沖に、一隻の黒船が錨《いかり》をおろした。 壇ノ浦砲台にいた見張りの兵がそれを発見し、警戒の空砲を一発打った。旧式の青銅砲だが、音だけはすさまじく、ドロドロと海峡にこだまする。砲声は、光明寺にいた玄瑞らの耳にも伝わった。 攘夷期限として布告されたこの日、罠《わな》にかかるように、やってきたのは、アメリカの商船ペンブローク号である。 玄瑞を先頭に、光明寺党はおっ取り刀で飛び出した。海峡に突き出した小山の上にある亀山八幡宮境内の砲台に駆けつけ、対岸を望むと、田野浦沖に黒い船影がたしかに浮かんでいる。「撃たぬのか」 と、玄瑞は、そこにいる司令らしい侍にたずねた、というより難詰する調子でいった。「ここからあの船まで弾丸《たま》が届くものか、それに奉行の命令がない」「早くせんと逃げられるのにな」 つぶやきながら、沖を見ていると、すでに薄暮におおわれようとする海面を、小舟が一艘、下関側の海岸をめざして漕ぎ寄ってくるところだった。 やがて黒船の模様が伝えられてくる。小舟でその外国船のそばまで行ったのは長府藩兵である。舟から声をかけると、意外にも日本人が舷側から顔を出したという。安蔵という長崎の浪人者で、通訳がわりに便乗しているらしい。
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    Posted 12 years ago #

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