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私はひどく孤独な思いに陥っていた

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  • Started 12 years ago by edsfad03

  1. ただひたすら一人になりたかったので、兵曹長たちとは別れ、防備隊には戻《もど》らずに、そのまま町の山の手に寄った場所にあった海軍士官専用の料亭に行って泊まった。白シャツの血のりは上衣を着ければ袖《そで》に隠れてわからなかったが、私はいつまでも拭《ぬぐ》い取らずに、そのまま多くの人の目にさらして置きたい思いになっていた,コーチ財布。しかし翌朝、シャツの血は奇麗に拭い取られてあった。私はひどく孤独な思いに陥っていた,コーチ 長財布。こんなふうでこれから先百八十名余りの隊員を率いて基地に赴き、そこを根城として特攻戦にはいってなどいけるものだろうか、と甚だ頼りない気持にさいなまれたのであった。 本部付がその夜の事件をどのように隊員たちに言いふらしたか、私の耳にまでは届いてこなかった。私の気持には本部付の思惑に乗ってしまったという悔いがうっすら残って消えなかったが、それ以来兵曹長たちが以前よりは親しげな態度を私に見せるようになったと思われた点だけは、或《ある》いはおかしな収穫だったというべきであったろうか,コーチバッグ。 辰《たつ》和《わ》丸と称する輸送船が佐世保港をひそやかにすべり出たのは、昭和十九年十一月十一日のことであった。その船には奄《あま》美《み》の加《か》計《け》呂《ろ》麻《ま》島を守備する大島防備隊付として送りつけられる諸部隊とその兵器が搭《とう》載《さい》されていた。同島内配置の砲台部隊二、三の他《ほか》に、姉妹隊の第十七震洋隊と共にわれわれの第十八震洋隊の、兵員、兵器、何年間分の(たぶん二箇年分ぐらいだったと記憶するが)食糧や諸《もろ》々《もろ》の需品が積みこまれていたことは言うまでもない。ただ第十七震洋隊指揮官のH大尉だけは直接飛行機で着任する由《よし》であった。それ故《ゆえ》輸送船がわを別とすると、乗船部隊の責任者たちは、第十七震洋隊先任将校のW少尉(彼は魚雷艇特修学生終了時私よりは先任、つまり成績席順が上位であった)と私とは勿《もち》論《ろん》、各砲台長も皆三期予備学生の砲術学校出身者だったために、全員期せずして速成の予備士官ばかりということになった。護衛として巡洋艦だったか駆逐艦かが一隻《せき》ついていたが、輸送船のそば近くたのもしげにその姿を見せていることは至って少なく、たいていはかなた水平線のあたりにようやく認められるか、又はもう任務が解かれて帰ってしまったのではないかとあやしまれる程も、海上のどこを見廻してもそれらしき点さえ見えぬはるかな位置に離れて航行していた。もし敵の潜水艦が近接した場合、それではとても間に合うまい、と思わないわけには行かなかった。その時はたぶん海没の事態に遭遇するわけだが、その場に臨んで指揮官としての自分がどうしたらいいかについては、甚《はなは》だあやしい対応しか思い浮かばなかった。というより具体的な行動を予想しようとしても、自分に与えられた兵器が完全装備の施されぬまま船底に眠っている以上、どんな戦闘場面にも手をこまねいて眺《なが》めているよりほかはないことに気づくのが落ちであった,コーチ メンズ。たとえ児戯に等しいものでしかなかったにしろ、若干の戦闘用具が与えられている輸送船の方では、戦いの姿勢を示さなければならなかったろうが、それは輸送船がわの要員に課せられたもので、われわれの容《よう》喙《かい》の許される余地はないというべきであった。現にわれわれには辰和丸がどんな行動を取っているかなどについての情報は一切与えられてはいなかったのだから。しかし実を言うと、それは私にとっては、むしろ救いでありもしくは休養だったと言えようか,コーチ 財布。なぜなら、どのような事態が生じても、私はただ成り行きにまかせていればよかったのだから,コーチ[coach] バッグ。われわれ三期の予備少尉たちは上甲板に接した、しかも震洋隊要員の二人にはよりゆったりした個室が与えられていたから、たとえ雷撃を受けたとしても、船内からの脱出は甚だ容易と考えられたのだった。勿論船底に詰めこまれた下士官兵の修《しゆ》羅《ら》場《ば》の現出という犠牲と引き換えにしての妄《もう》想《そう》ではあったが。だからといって海没の事態が現前した時に、私にどんな特別の行動が期待できよう。私はひたすら途中の航海中何事もなく目的地の加計呂麻島に到着できることを願うほかに術《すべ》はなかった。それは祈りに近かったといえるかも知れず、しかも頼りないことながら私はその祈りのききとどけられることを半ばは信じていた。その時の私の祈りは亡《な》くなった母に向かって為《な》されていたが、それまでも私は度々母に祈ることによって危機が避けられたという思い込みを持っていた。祈りがきき届けられたといっても証拠は漠《ばく》然《ぜん》としているが、事の起こりが母の命日に当たっていたことによるそれは、どうしても私を神秘的な状態に導くようであった,コーチ アウトレット。今度の基地への進出の日も、偶然のこととはいえ、その十一月十一日であったことは、私に或る落ち着きを与えてくれていた。だからたぶん辰和丸は途中無事な航海を全《まつと》うして加計呂麻島に行き着くにちがいないと、私は半ば自分に信じ込ませていたのであった。 それが叶《かな》えられたのかどうか、辰和丸は一《ひと》先《ま》ず鹿児島市沖合いに無事に投《とう》錨《びよう》し得た,コーチ バッグ 2013夏。私ははじめ当然普段の寄港とばかり思っていたが、一両日の碇《てい》泊《はく》ではないことが結果としてわかってくると、やはり戦況の悪化による待避と考えないわけには行かなかった。
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    Posted 12 years ago #

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